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日本の昭和天皇の独白録 ~ その作成目的は、単なる内輪話かそれとも東京裁判を意識した弁明書だったのか?

 1 日本の昭和天皇とは 

昭和天皇とは天皇裕仁のことであり、1901年4月29日~1989年2月24日まで実在した人物です。
昭和天皇の在位期間は、1928年12月25日~1989年1月7日までの約62年間であり、歴代天皇の中で(神話上の天皇を除くと)最も長く在位したことになります。
昭和天皇は、天皇である一方で生物学者として海洋生物や植物の研究にも熱心であったことで知られてます。
1925年6月には生物学御研究室が赤坂離宮内に設立され、御用掛であった服部廣太郎の勧めで変形菌類とヒドロ虫類の分類学的研究を行っている。また、昭和天皇は、1929年には在野の粘菌研究第一人者である南方熊楠の下を自ら訪ね、熱心に進講を受けています。

2 昭和天皇と独白録の存在

昭和天皇による独白録とは、昭和天皇が、戦前・戦中の出来事について、1946年に側近に対して語った談話をまとめた記録であり、1990年に文芸春秋からその内容が公表されました。
この独白録は、当時宮内庁御用掛として昭和天皇の通訳を務めていた寺崎英成によって作成されました。
独白録の存在は、1990年11月の新聞各紙で初めて報道された。文芸春秋1990年2月号に全文が掲載されると、大反響を呼び発行部数は100万部を突破、さらに寺崎の日記を付した単行本が「昭和天皇独白録・寺崎英成御用掛日記」として翌年3月に刊行されました。
 そして、1995年に寺崎日記部分を除き、「昭和天皇独白録」として文庫化されました。

3 天皇独白録の主な内容

昭和天皇の独白録の原本は、寺崎用箋と書かれた特注の便箋170枚からなります。一部は筆で書かれたものですが、それ以外はほとんど鉛筆書きで、特に表題は付されていません。
原本の原稿は一部と二部に分かれており、それぞれが紐で綴じられています。
第一巻は、「大東亜戦争の遠因」および「張作霖爆殺事件」から「開戦の決定」まで、そして第二巻は「宣戦の詔書」から「8月14日の御前会議前后」までに「結論」を加えて終わっています。
当時の陸海軍の軍人、政治家に対する率直な批評もあり、東条英機嶋田繁太郎岡田啓介、米内光政などの評価が高い一方で、松岡洋右平沼騏一郎宇垣一成小磯国昭近衛文麿などは酷評されています。

4 近衛上奏文を書いた近衛文麿との関係

昭和天皇が独白録の中で酷評した近衛文麿は、昭和天皇の側近の一人であり、戦時中、吉田茂らと「ヨハンセングループ」と称するグループを創り、戦争の早期終了を画策した人物です。
近衛は、日本軍が劣勢となった1945年2月、昭和天皇に対して、一日も早く戦争を終結させるべきとの書簡を捧呈しています。
しかし、昭和天皇はこれにすぐに返事をせず、同年3月には沖縄にアメリカ軍が上陸しました。その後、ようやく出された返事には「もう一度、戦果をあげなければ、終戦は難しい」旨の記載があり、昭和天皇が早期終戦に反対した経緯が残っています。
その後、広島・長崎に原爆が落とされたため、昭和天皇の戦争責任を追及する歴史家もいます。

5 独白録は内輪話かそれとも弁明書か ~ 独白録の性質について

1991年1月号の文芸春秋で、独白録の評価につき、伊藤隆、児島譲、秦郁彦らによる座談会「独白録を徹底研究する」が掲載され、伊藤と児島は、記録は政治的な背景を持たない内輪話であると主張しましたが、秦は東京裁判昭和天皇が戦犯として訴追される可能性を懸念して、GHQに提出することを念頭においた「弁明書」であり、英語版が存在するはずだと主張しました。
1997年にNHKで放送された「NHKスペシャル昭和天皇二つの独白録」の取材過程で、英語版が作成されGHQに渡っていたことが明らかになり、このことから、現在この昭和天皇の独白録の作成目的は、秦の言うように、東京裁判対策であることが有力な説となっています。