たのしす〜楽しさでつながるブログ〜

「私」が感じたこと、「あなた」に伝えます

英語が話せるまでの体験談と恥ずかしかった経験

海外留学はロサンゼルスを選びました。最初は語学学校を探して、結構安くて手続きも簡単そうなインターナショナルラングエージシステムズを選びました。

 

ビザを出してもらえるように入学金を払って書類を送ってもらい、当時大阪にあるアメリカ大使館までビザを取るために3,4時間並びましたが、2分の面接でビザが降りました。

 

その数週間後に家の住所までビザが送られてきていよいよだと思い、ウキウキわくわく気分でした。主発当日家族に駅まで送ってもらい、福岡にいた友達の家に一泊してそれからいよいよ国際空港にいってコリアンエアーで行ってソウルで乗り換えで10何時間の飛行機からやっとロサンゼルスに到着しました。

 

学校の人が出迎えてくれて、最初は寮に滞在しました。その寮がなんと韓国人が経営していて一軒家みたいな汚い寮でした。おまけにほとんど日本人で学校も日本人だらけでしたので、あまり学校に行かなくなり、一人でぶらぶら街を歩いたり、お金を預けるところを探しました。英語が通じなかったので公共の場所で相当苦労したのを覚えています。

 

ホームステイ先を探して近くのオレンジカウンティーに引っ越したところ白人は多かったのですが、あまりロサンゼルスみたいに楽しいとは思わなかったので、今度は日本人のホームステイ先を探してロサンゼルスに戻ってきました。

 

そこで会ったあきこという当時40くらいのおばさんと意気投合してロックを演奏するコンサートとかよく一緒に行きました。そのあきこが白人の若い男と遊びまわって朝方まで遊んだりしていました。ものすごくおかしな話もしたことがあるんですが、なんだったかな、あきこはロックバンドの大大大ファンでフロリダまで追っかけて車を突っ込んでストーカーした話は爆笑しました。

 

しかもコンサートはViPで胸丸出しの裸で叫んだりしていたのはさすがにすごくおもしろかったです。

 

私はアメリカ人のルームメイトを探していたら、音楽家のジョーイと知り合い付き合うようになりました。

 

それがきっかけで徐々に英語が上達していきましたが、まだまだアメリカの文化とかすらすら英語が話せるまでにはいきませんでした。やっぱり、日本人の考え方とアメリカ人の考え方は全然違ったので、1年もしないうちに別れてしまいました。

 

今思えば恥ずかしい体験でした。はっきりと言えない性格はやっぱり日本人ですね。

 

それからジェニーという女優と住むようになり、毎日のようにパーティーに連れて行ってくれました。が、パーティー三昧は嫌で喧嘩をしてしまい追い出されました。

 

追い出された時に友達に連絡をして迎えに来てもらい、なんとか新しい住居を見つけたところ最高の暮らしができました。その女性はバリバリのキャリアウーマンでなんと家賃無料で住まわせてくれました!

 

それからバイトを探して近くのブティックで働き始めました。お客さん達はほとんどアメリカ人なのでそこでだいぶ英語のレベルが伸びていきました。もちろん彼氏もできたりしましたが、短期間が多かったです。今思えば良い経験をしたもんだと思います。恥ずかしかったのが、客に英語が通じなくてお店からすぐ出て行ってしまったりしたことです。それ以外は自分にとっては無料で英語が学べる場所でおまけに稼げたので一石二鳥になりました。

 

それから仕事を通じてアメリカ人の友達が少しづつできて行ってロサンゼルスの生活がだいぶ楽しくて毎日が生き生きしていて初めて親に人生もらって感謝をしました。日本

 

のコマーシャルとかは1年で英語がペラペラになると言いますが、実際に外国人の友達を作って現地でいろいろな経験をしないと英語のレベルは伸びないなと実感しました。

 

なので、地元の友達とか、親戚になるべく日常で英語を話すように努力したほうがいいとアドバイスをしています。かれこれ私は14年アメリカに住んでいます。